乞食blog -7ページ目

子供が捨てるもの

どこぞの婦人団体だとかいうおばさんたちが来て、
年末で賞味期限が切れるというカンパンを、
よかったら食べないかといって紙袋ふたつ分置いていった。

「去年までは、子ども会の行事などで配っていたのだけど、
みんな捨てて帰るのよねえ」
とぼやくひとりのおばはんを、
「シッ、余計なことを!」という調子で
にらむおばはんがいておかしかった。

はいはい、子どもも捨てていくような
シロモノをありがたく頂戴させていただきますよ。

しかし食ってみたら、びっくりするほどうまかった。
思ったよりポソポソしていない。噛むと嫌味のない甘みが広がる。
食べ応えのあるビスケットという感じ。
水を一緒に飲むと、きっちり腹もふくれ、
ずっしりとした食べ応えがたのもしい。

なんとかという外国製の大味なチョコレートも入っていた。
表面に何故か塩分が浮いていて、
全体的に甘いカレー粉のようなおもむきだった。

タバコを吸ってみて

福祉課の国村さんから貰った煙草を見つめながら、
色々と考えている。

昔は自分もヘビースモーカーだったが、
乞食になってからは買う金もないし、
シケモクを吸うのもなんだか気が引けたので
自然と吸わなくなった。

今日も特別吸いたい訳ではなかったが、
何と無く感傷的になっていたせいか、
拾ったライターをポケットから取り出し、
煙草に火をつけてみた。

ふぅーと大きく煙を吸い込むと、
ニコチンが肺いっぱいに広がり
ゴホゴォとむせてしまった。
久しぶりの煙草はやっぱりきつい。

冬が深まるにつれ、
この公園に住む人たちが次々といなくなる。
去る理由は、それぞれ悲しかったり嬉しかったりして千差万別だが、
喜ばしい門出は素直に祝福してあげたい。

ヨシさんには幸せになってもらいたい。
マーちゃんや他の皆の分も

昼間の国村さんの話が頭をよぎった。
今年は、いつもより寒い冬になりそうだ。

ペヨンジュン

ビックイシュー新年1号めの表紙は、
ヨンさまだという噂がとびかっている。
ノリさんが興奮して、仕入れ資金がいる!
明日から戸田に行き仕入れ資金を増やすといっている。

「だってビジネスだから、
ある程度のリスクは背負わないと、
駆け上がれないんだよ」

とどこかで誰かにふきこまれたようなことをいっている。

最近、ノリさんは顔つきがかわり、
ムードも自信が出てきている感じだ。
ヨシさんの影響もあるのだろうか。

さようなら、ヨシさん

今日、ヨシさんにお迎えの人が来た。
借金でどうにもならなくなり逃げてきたというヨシさんだが、
その問題が片付いたということで、
九州の温泉宿での就職が親類の人のはからいで整ったというのだ。

最近、姿をちょくちょく消すなと思っていたら、
家族と連絡をとっていたということだった。

「新聞でね、保証人やっていた
前の店のオーナーが死んだというのを見たのよ。
そうなると保険金が出るでしょ…
だから片付いたんじゃないかなと」

お金の問題より、重圧に負けて黙って姿を消してしまった
家族への謝罪とわだかまりを解くのが、
こころから情けなく、申し訳なく、
つらいことだったというヨシさんの話に涙が出そうになった。

「どうして何もいってくれないの!
もっと早くに相談してくれたら」

という、あの日の妻の泣き顔がどうしても忘れられない。

ヨシさんがこの公園で暮らしていたのは、ほんのひと夏だ。
きびしい冬を前に、人間らしい暮らしに戻れることになり、
こころから祝福したい。

それはまちがいないのに、やはり心のどこかで、
技能を持ちそれによって、
すぐに自分の居場所に戻れるヨシさんをねたましく思うのだ。

うらやましい。
ほんとうにうらやましい。
自分にもなにか料理とか、特別な才能があれば、
こういう生活になっても、戻りやすいと思うのに。

別れ際、ヨシさんは何故かマクドナルドのホットケーキを
プレゼントしてくれた。
それは、この公園で初めて寝たヨシさんに、
自分が差し出した思い出の食べ物なんだという。
しかしその話を聞いても、そのことはすっかり忘れていた。

凍死

最近はちょっとぼーっと座っていると、
意識があまり鮮明でなくなり、
昔、娘が生まれたばかりの頃のアパートの様子とか
(何故かカレンダーをはずしたあとのネジの穴のかたちや
日焼けした壁紙の色のかんじとか、細かい部分)、
学生時代に自転車をこいで、
Aという友達の家にあがりこみ
レコードを聞かせてもらったというような光景を思いうかべて、
何時間もたっていたりしている。

山さんにそんな話をしていたら、
凍死していくやつって、そんな感じなのかな、といった。

そうなのかもしれないなあ。